淡墨桜の伝説

淡墨桜は一般的に根尾谷淡墨桜などと呼ばれています。品種は、彼岸桜で、和名を大井次三郎博士によってエドヒガンと命名されています。樹齢は1500余年といわれ、樹高は平成3年次の計測によると16.3mに及びます。また、幹回りは、目通りで9.91m、枝張りは東西に26.90m、南北20.20mあります。淡墨桜は、由緒ある桜の代表的巨樹として大正11年10月12日に当時の内務省より天然記念物指定を受けています。岐阜県根尾谷の淡墨桜には、以下の2つの伝説があります。

継体天皇お手植えの桜

現在の愛知県一宮市にある真清田神社由来の真清探當證によると、応神天皇5世の孫・彦主人(ひこうし)王の孫・男大迹(おおど)王は、皇位継承をめぐり、のちの雄略天皇(21代)から迫害を受けたといいます。男大迹王は、僅か生後50日で養育係を勤めていた草平・兼平夫婦に預けられ、災いを避けるために真清田神社のある尾張一宮から更に美濃の山奥へ隠れ住んだといわれます。
この間には、筆舌に尽くしがたい生活を強いられましたが、長じて29歳の時、都から使者が迎に使わされたそうです。そして、男大迹王は都に上がり、継体天皇(26代)に即位されました。
村を離れられる際に住民との別れを惜しんで、尾張一宮から持ち帰っていた桜を次男の桧隈高田王の産屋跡にお植えになりました。この際に次の詩が詠まれました。

    身(み)の代(しろ)と遺(のこ)す桜は薄住(うすずみ)よ
                 千代にその名を栄盛(さか)へ止(とど)むる


郷社春日神社伝記

淡墨桜に程近い神社に郷社・春日神社がある。春日神社伝記によると、以下が1807年(文化4年)に記された。

「城山の向、今村と申候て、板所村の出郷あり、此処に淡墨桜と申候て、大き成る桜木あり、囲りニ抱余り、其形笠を伏したるが如し、四方八間、九間に枝を連ね弥生花盛りの頃は至って美しく面白し。此の花、年々吉・凶を告るとかや、其謂は此花多く咲き見事成る時は、根尾山中の諸作豊年を告げ、又花少し成るときは、凶作を知らしむとぞ、遙に是を望見すれば、其色誠に淡墨をかけたるが如し、一入感に絶へたり、是も根尾殿出丸の城地にして、人道殿の秘蔵せられたるよし、今村の淡墨桜と、今に知らぬ人なし」

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